New Longさんの日記

(Web全体に公開)

2016年
11月26日
18:41

長春の人口変遷と歴史

清時代1883年には9万人を超える街となっていた(東京15区は70万人、京都や大阪は20万人超、名古屋、金沢、広島などが10万人前後)。
その後、ロシアが侵攻し、日露戦争後、満州鉄道の発展により、1908年には市域21平方kmの人口は約15万人に達した(東京15区は200万人超、大阪は50万人前後、京都は30万人超、名古屋は20万人超、横浜や神戸が15万人前後)。
その後、日本で言う満州事変を経て、満州帝国が建国されると人口は著しく増加することになる。
終戦前年の1944年には80平方kmで120万人超の人口を有する大都市になっていた。
戦後1946年に共産党軍が「解放」後、直ぐに国民党軍に奪取されると、国民党軍による大破壊により市域は荒れ果て、人口も17万人まで激減した。

http://www.29hui.cn/df/ShowPost.asp?ThreadID=86330
絵葉書等による1930年代満州鉄道の仮想旅行
(大連、瀋陽、長春、ハルビン)
http://www.mafengwo.cn/i/1095932.html

コメント

2016年
11月26日
19:03

1: soran

大連在住の時の話ですが、満州事変(柳条湖事件)のあった月日には、防空サイレンが鳴っていました。。。

2016年
11月26日
19:16

918と言えば、瀋陽の歴史博物館には、明らかに変な日本語が載った復刻本が、堂々と日本傀儡時代の日本語教科書として展示されていました。

:

みなさんのkanichi。

現在の参加メンバーは 45000名 です。

最近のkanichi。

https化しました。